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R33は失敗は作本当になのか?スカイラインGT-R R33を徹底検証!! Sponsored Links 「R33は失敗作だ」という声をたまに聞く。 太った?見た目は?でも本当は? 日産スカイラインGT-R33は本当に失敗作なのか?R33を検証!! R33スカイラインの製作の歴史は・・・ R33どのように作られたのか? いまから20年ほど前、 ニュルブルク城ーーラテン語で「黒い城」を意味する古城は、 ドイツ西部に広がる深い森の中にある。その城を囲むようにレイアウトされた全長20.832kmのサーキットが 「ニュルブルクリンク北コース」を7分59秒で駆け抜けたクルマがあった。 山あいの地形を活かした勾配に170を超えるコーナー、 雨や濃霧など気まぐれな天候要素も加わり、 世界で最も難易度の高いサーキットに数えられる。 スポーツカー開発の聖地とも呼ばれ、 ここで計測されるラップタイムはニューモデルの性能を示すインデックスとなっている。 その車がBCNR33型プロトタイプのそのクルマこそが、 「スカイライン R33GT-R」だ。 先代のR32GT-Rの記録を21秒も短縮したR33GT-Rは 「マイナス21秒のロマン」というキャッチフレーズを掲げ、 鳴物入りで市販化された。 なぜR33は失敗作と言われる理由は? ・「R33で太った」 ボディサイズの大型化。 ぜい肉を削ぎ落としたようなR32に比べ、 全長・ホイールベースともに伸び、 車重も増えたR33に違和感を覚えた人多いという。 一説によるとコンパクトなR32のリアシートが狭すぎるといった営業サイドの要望に合わせたとのこと。 ボディサイズの大型化は、R32に慣れ親しんだ多くのGT-Rユーザーからは違和感があったのかもしれない。 ・カーマニアの間でいまでも語り草となっている「土屋圭市氏の広報チューン・ブチ切れ事件」。 1995年のカー・ビデオマガジンで、レーシングドライバーの土屋圭市氏が恒例の筑波アタックに参戦した。 本来土屋氏が乗るべきクルマの調子が悪く、自分のR33 V-Specを持ち込み、 日産の広報車であるR33とR33 V-Specと対戦したのだが……結果は土屋氏が惨敗するのである。 その後、広報車には車高が市販モデルよりも低く調整されていたほか、キャンバー角の変更、 ブーストがかけられているなど、スペシャルチューンが発覚する。 土屋氏の怒りも相当なものだったが、この事件でR33GT-Rは評判を落としたばかりでなく、 先のニュルブルクリンク北コースで叩き出した「マイナス21秒」にも疑念の目を向けられることとなる。 ・人気漫画『頭文字D』の登場人物の発言。 「R33なんざブタのエサ」「あれは日産の失敗作だ」とのセリフを覚えている人も多いのではないだろうか。 イニDの中では他の車種に比べて、最もひどい物言いとなっている。 人気漫画だけあって、この登場人物の発言で「R33は失敗作」というイメージが広く浸透してしまった印象は否めない。 ■実際のところR33は失敗作だったのか? あえて指摘するなら、この時代のGT-Rに求めるユーザーのニーズは 日産が狙っていた層ではなかったということだろう。 これは当時の日産のマーケティングミスであり、広報戦略の失態であり、 R33GT-Rにとっては「悲劇」であったと言わざるを得ない。 R33スカイライン実際は? それでも、その後のGT-Rの進化は、このクルマの存在なしに語ることはできない。 R33の存在があったからこそ、最高傑作と呼ばれる次世代のR34が生まれたのだ。 R33GT-Rは、それまでのコンパクトさを捨て、大型化し、 絶対的なスピードを追求するターニングポイントとなったスポーツカーなのだ。