カルソニックGT-Rのレース裏話、歴史!伝説のスカイラインR32グループA歴史を振り返り!
スポンサーリンク
スカイラインカルソニックGT-Rの歴史!16年ぶりの伝説!R32グループA歴史を振り返る!
鈴木利男と星野一義のカルソニックスカイラインでの活躍、裏話!
1990年、R32はそのJTC第1戦・西日本サーキットでデビュー戦
鈴木利男と星野一義のカルソニックスカイラインが・・・・
スカイラインGT-R16年ぶりの復活したグループAの活躍
グループAとは・・・
FISA(国際自動車スポーツ連盟)によって定められたレギュレーションの一つで、
JTCでは1985年から1993年まで採用された。一般の市販車に改造を施したものに限定され、
連続する12カ月間に5000台以上(当時)生産し、座席が4つ以上の車両が公認の対象となる。
デビュー戦は・・・
1990年、R32はそのJTC第1戦・西日本サーキットでデビューを果たす。16年ぶりの復活となったGT-Rを見るために詰め掛けた観衆が見守るなか、
決勝に出場したR32は2台。鈴木利男と星野一義のカルソニックスカイライン、
長谷見昌弘とアンデルス・オロフソンのリーボックスカイラインである。
結果は星野組のカルソニックスカイラインが、
レースの4分の1を消化した時点で全てのマシンを周回遅れにする圧勝だった。
スカイラインGT-Rはレースでどのくらい強かったのか?
GT-Rの強さとは?
R32の圧倒的な性能は、スピードはもちろんのことコーナーリングにもはっきりと見られた。当時日本一速い男と呼ばれた星野のイン側のタイヤを浮かせながらコーナーを駆け抜ける「縁石走り」はカルソニックスカイラインの代名詞となった。
日本一速い男は、R32のポテンシャルを最大限に引き出せる男でもあった。
R32はシリーズ全戦でポール・トゥ・ウィンを飾り、グループAカテゴリーが
終了する1993年まで29連勝という金字塔を打ち立てる。
スポンサーリンク
ちなみに世界では・・・
R32GT-Rは海外のレースにも数多く参戦した。スパ・フランコルシャンは、フランスのル・マン24時間レース、米国のデイトナ24時間レースとともに「世界3大耐久レース」の一つ、ベルギーで開催されるスパ・フランコルシャン24時間レース。
これは市販車ベースの改造車中心のレースだ。
1990年、R32はこのレースで「グループN」の表彰台を独占。
「グループN」とは一般の市販車をレース用に改造する点ではグループAと同じ、
しかし改造範囲がより狭く限定されるのが特徴である。
日産の「901運動」の結果生まれはベースとなる市販車そのものの性能の高さがこの結果につながっているのだろう。
R32の快進撃はとどまることを知らない。1991年には前年に続きグループN優勝に加え、グループAでも服部尚貴、アンデルス・オロフソン、デビッド・ブラバムのゼクセル・スカイラインで2位を20周も引き離して独走体勢に入り、総合優勝を果たす。『R』のエンブレムが最も輝いた瞬間だ。
スカイラインGT-R現在は世界で・・・
現在その価値が・・・
近年、世界的に中古車市場でR32の価格が高騰、25年ルールが解除された米国ではユーザーからの引き合いが強まっているという。
「スカイライン R32GT-R」の残したインパクトが世界的に色褪せていない事の証拠ではないでしょうか?